2007.01.06
テレビ番組『マグロ』は12月1日に親父をなくした後で、年末から期待していた番組でした。 二夜連続での長時間ドラマでしたがアッと言う間に終わってしまいました。 今迄数多くのドラマや映画を見てきましたが、これほど心の中に強く感動を覚えたのは始めてのことでした。 津軽海峡の冬の海も荒れるとうねりも大きく、極寒の海は水しぶきと寒風に手の感覚もなくなるほどの寒さだろうと思います。 そんな厳しい環境の中で、『マグロ』と1対1の命をかけた、勝負をする漁師の心意気、家族のために働く責任感、男のロマンを感じます。 この写真は大学の後輩小政君のブログ 50の手習い から拝借 親父の活躍した東シナ海は台風の通過することも多く、嵐の海の中での操業は大変なものだったようです。『稼ぎも大事だが、安全が一番!』と言っていた親父には乗組員25名の船員とその家族を守る責任があったのです。 当時は韓国との海域に李ラインと言うのがあって、韓国の巡視船や、北朝鮮に拿捕された船もありました。 青森県大間のマグロ漁は一日で帰ってくるけれど、親父の船は、一旦出港すると28日間ぐらいは帰ってきませんでした。その間は親父の代役も勤める母親の苦労が今になってよく解かります。 約一ヶ月ぶりに入港するときは、船は何時も沈みそうなくらい大量の魚をトロ箱に積んで、長浜の魚市場に悠然とした姿で静かに近づいてくるのを手を振って迎えに行きました。 魚市場の岸壁に船が着くと直ぐ荷役が始まります。 満杯のトロ箱をベルトコンベアーに載せる、漁師達の力強さに憧れを抱いていました。 その時も親父は、静かに漁師達の動きを黙って見ながら時々指示を与えていましたが、その姿は子供心ながら、親父は凄い!!と思っていました。 顔は髭ボウボウで、長い航海を物語っていました、タバコをくわえ、颯爽と船から下りてくる、親父の姿は大きかった!! 入港の翌日は夕方から船員25名とその家族達が我が家に集まって、芸者さんたちも黒い着物を着て、三味線の音色と伴に、飲めや、歌えやのドンチャン騒ぎで、厳しかった仕事のストレスを発散していたようです。 そんな集まりが、雰囲気が大好きでした!! 皆が命を懸けて、同じ船に乗って、漁労長の指示の元、仲間意識が強く、強い絆で結ばれた男達の姿は爽快でした。 渡哲也先輩の寡黙さも初めは子供達に理解されなかった場面もありましたが、親父を思う子供達、子供をもう親父、お袋、今の家族に一番必要な親子の信頼関係を見事に表現していたドラマでした!! 『マグロ』よ有難う!!親父を思い出させてくれて!! 渡哲也先輩に感謝!!大間の漁師達にも感謝です!!
by shinobueakira
| 2007-01-06 02:20
| 両親の思い出
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