2006.12.10
2006年12月1日19:30、会社の忘年会が西鉄グランドホテルで開催されていましたが、そろそろ盛り上がってきそうな雰囲気になってきた時でした。 タバコを吸う為に会場を出た瞬間に携帯がなりました・・・・・・・・・ チョット嫌な予感がしましたが、「お父さんが、救急車で運ばれたとよ!」と言う民ちゃんからの電話でした。福岡記念病院と言うことを聴き、気のおけるH君とKさんに伝えて、忘年会の会場を直ぐ後にして、記念病院へ駆けつけました。弟が心配そうな様子で、待合室にいました。 「一緒に夕食をしている時に、食べ物が少し詰まったらしく、洗面所に行って、うがいをしたいようだったので、付いていってやったが、そこで、倒れてしまった」と言うことでした。 処置室では男性医師が5人位で心臓マッサージを施してくれていました。心電図を見ると波形が乱れていました。 暫くして、民ちゃんやおふくろさん、娘達も駆けつけてきましたが、おふくろさんは覚悟を決めていたような感じでした。 「最後まで、家で生活し、苦しまずに、大往生よ!」医者の診断が出る前に、母親の口から出た言葉に親父との別れをいち早く感じていたのかもしれません。 親父は私のうつ病のことも、姉の硬膜血種の手術の事も心配していました。 それでも二人とも回復し、安心していた矢先の事でした。 93歳まで家族に何も迷惑をかけず、母親とその日も午前中は約1時間の散歩をして、凄く元気だったのに、夕食に1日でお赤飯と鯛の煮つけを食べようとして、一口食べただけのようでした。 病院から帰らぬ人となった親父を家に連れ戻った時は23:00前でした。 親父の93年間・・・壮絶な男の一生を全うした満足感があったと思います。 親父の人生に悔いは無かったと思います。もう少し親父孝行がしたかった・・・・・・・ おふくろの事は心配せずに、安らかに眠ってください。 親父有難う・・・・そしてさようなら 通夜、告別式とあっという間の出来事でしたが、不思議に家族には悲しみの涙はありませんでした。親父の生き方に感心するばかりで、家族の絆を更に強くしてくれたような気がします。 早いもので、親父が他界してから10日が過ぎました。 毎日、弔問のお客様が今でも訪ねてきてくれていますが、どなたも親父の生き方に感心しているようで、無口だが、正直者で、弱い者の味方であり続けた親父の本当の優しさが段々強く感じるようになって来ました。 私も出来ることなら親父のような人生を全うしたいと思います。 家族は皆少し疲れているようですが、今日はダンスの発表会に、おふくろも観に来てくれました、親父の弔いダンスでした。 発表会直前の親父の死で練習は不足しましたが、無事に発表会のほうも終わりました。 家族で、ダンスの写真を見たり、親父の告別式の写真を見たり、思い出話に会話も弾み、親父も仲間に入れてあげたいような気持ちになりました。 ブログのほうも徐々に書き始めます。 ご心配を頂いたなすびちゃん、ひばりさん、有難うございました。 これからも宜しく。
by shinobueakira
| 2006-12-10 23:58
| 両親の思い出
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