2006.01.20
バスケ一筋で過ごした中学、高校、6年間は充実していた! この6年間勉強は、はっきり言って試験前に集中して一夜漬けでやったくらいで学校の授業以外はあまり勉強をしたという記憶は無かった。 中学、高校時代は授業をサボったことは一度も無かった(当たり前のことかもしれないが高校時代、野球の練習はまじめにやるが殆ど授業に出てこないH.I 君という仲間がいたが・・・・彼は現在、現役の競艇選手) しかし、高校3年のバスケ最後の夏の試合が終わった後は大学へ行きたい、それも東京へ! 兄貴が慶応義塾大学に行っていたので、自分は早稲田大学に行きたかった。 高校3年の秋以降は人生で一番勉強をしたと思う。 高校時代の仲間は夫々自分の目標の大学を目指して勉強をしていたようだった。 昭和42年の2月、早稲田大学を目指して、いざ東京へ寝台夜行列車ブルートレイン『あさかぜ』に乗って16時間くらいかかって到着した。 2日後が試験でその日は兄貴の住んでいる下北沢の下宿先に泊まった。 この時、兄貴は大学仲間と狭い部屋でマージャンをしていて、押入れで寝たことを覚えている。 弟の受験が2日後にあるというのに何と言う兄貴かと思った!! 愈々、高田馬場 早稲田大学の受験の日が来た。 人生で初めて味わう緊張感だった。 試験の内容は良く覚えていないが少し、自信は有ったが、昼休みに珍しい奴と会った。 中学時代の仲間のT.M君だった、修猷館高校に行っていた彼は身体よりも大きく見えた 自信ありげだった。(彼の結果は「桜満開」だった) 私の受験の結果は「桜散る」という電報だった・・・ガックリ!!(人生、初の挫折感を味わう) 漁師の親父に始めて相談した。(親父の後をついで漁師になろうかとも思ったことを記憶している。 1年浪人させて欲しいと・・・・・少し白髪が増えてきていた親父に申し訳ないと思った。 しかし親父が言った言葉は「以西底引きの漁師の将来は暗い」ということだった。 1年間だけという条件で浪人生活することを許してくれた。 私の希望を聞き入れてくれた親父に対する感謝の気持ちは一生忘れられない。 同時に浪人生活が始まる。
by shinobueakira
| 2006-01-20 16:11
| 徒然日記(思い出編)
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